松林桂月(Keigetsu Matubayashi 1876-1963)

 

萩市中渡(現・山田)出身。尋常小学校卒業後、地元の素封家・龍口吉良の援助を受けて上京。

1894年野口幽谷に師事。南画の表現に新たな世界を開拓し、南画界の重鎮と言われる。

官展の中心画家で、1906年日本南宋画会を結成。1919年帝展審査員、1932年帝国美術院会員、1937年帝国芸術院会員、1944年7月1日帝室技芸員。戦前の40代後半から60代にかけてが桂月の最盛期で、力作の多くがこの時期に描かれている。桂月作品の特色である、右上から左下に向かう構図法がはっきり現れるのもこの頃である。

1947年日中文化協会理事、1948年日本美術協会理事、1949年日展運営委員会常任理事、1954年同理事。戦後日展に書が加えられたのは、桂月の働きかけが大きいという。ただし桂月自身は、戦後の前衛書道は評価しなかった。1958年文化勲章受章、文化功労者、日展顧問、1961年日本南画院会長。死後従三位勲二等旭日重光章受章。